アメリカ遊学記その20

前回からの続き)

アメリカには日系の方々が住んでいる。

私が行った当時はまだまだ日本から渡航して数十年住んでいた方もかなりいた。

 

ロサンゼルスで出会った日系のおばあちゃん

ロサンゼルスで街を散策していたら、ビルの谷間の憩いの場と言うか近所の方々の溜まり場みたいなところがあった。

私は知らずにそこに行ってしまい、休憩する訳でもなく椅子に腰掛けてしばらくいたら、見知らぬおばあちゃんが横に座って話を始めた。

もちろん英語で話し始めた。

しかし私が日本から来たのだ、と言うと急に日本語になった。

それも広島弁。

私は大分の人間なので、割と西日本系のイントネーションや方言も難しくなければ理解できる。

「Oh! あんたは日本のどっからきんさった?」(標準語=どこからいらしたの?)

「神奈川県からです。でも生まれは九州なんです」と言うと

「ああ、九州かいね。You know,九州のどこ?」

「別府です。」

「Oh I know that!別府は温泉地よね」

うまく表現できないが、英語と広島弁と古い日本語のチャンポンだった。

そのおかげで脳みその運動になったし、おばあちゃんとお友達になったし、良い体験だった。

 

昔の日本語が生き残っていた

戦前にアメリカに移住してきた日本人の方々は一生懸命に生きていた。

昭和初期だろうか、大正時代だろうか、その頃アメリカに来ているので、その後は英語一辺倒だったのだろうと推測できる。

何を言わんとしているかと言うと、ずっと日本に住み続けているとメディアから流れてくる日本語の変化に少しづつ変わっていることに気がつかない。

でもおそらく戦前に使われていた日本語のまま止まっていると思う。

 

風邪を引いた時に病院で英語で説明できない

飛行機の予約などと一緒で日常的な英会話ならまだしも、症状を英語で伝えるのは辞書片手に病院に行かなければならない。

仮に辞書を持って行ったとしても、一朝一夕に症状を英語で説明することは不可能。

なので、私が取った策は、日系の医師のいる病院に行くこと。

もちろん、風邪を引いた時のことも考えて海外旅行保険は特約もつけておいたので問題なし。

ロサンゼルスはリトルトーキョーもあるし、書店も日本の書籍を扱っている店があった。

そこに行くとチラシやパンフレットがあり、そこに病院の紹介もあったので、実は入手しておいたのだ。

いざ、風邪気味になると、頭が痛いはI have a headache.だと思うが、少しだるいとか少しだけ頭がクラクラするなどと言う表現は英語で言えない。

そう思って日本語がわかる医者に行った。

その先生は日系人だとは思うが、日本語は標準語なのだが、かなり言い回しが古臭い。

「この薬を服用する際に注意すべき点は、必ず食後に飲むべきことである」

とか、問診の時は

「あなたはタバコを一日何本飲みますか?」

など自分の子供の頃聞いた日本語がそこにはあった。

タバコを吸うとは言うものの、タバコを飲むと言う言い方は昭和40年代に廃れているはずである。

少しづつ気に留めていると面白いことだと思う。

今の日本語はかなり乱れている、と言うか自由奔放に変化していて節操がない気もするが、言葉は生きているので仕方がないのかもしれない。

もちろん、英語もスラングは生まれては消え、消えないものはスタンダードなスラングになって残る。

Back To The FutureでマイケルJフォックスが「I’ts heavy ha!?」と言ったことに対して博士は

「未来は重力の変化が見られるのかもしれない」と推測する。

古い時代では使わなかった英語の表現が時代とともに変化する。

これと似ている。

 

 

 

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